日本人で初めてフィリピンで路上販売をし「GO GO CAFE」を起業した話。

自己紹介。

私は、現在、フィリピンにてGO GO CAFEというカフェを経営しております。

GO GO CAFEは、フィリピンのテレビに5回、新聞に3回、TBSの世界サマーリゾートという番組にも、セブ島の人気レストランとして取り上げて頂き、多くのフィリピン人やセブ島に住む日本人の方にご利用いただいております。


(日本のバラエティやフィリピンのテレビでも取り上げられる)

次の展開としては、GO GO CAFEの人気メニューであるサンドイッチに特化した小規模の専門店を出店したいと思い、出店場所等を含めた準備を現在行っています。

今回の記事では、私が起業を志したキッカケから起業に至るまでのストーリーを記載したいと思います。


(フィリピンの「GO GO CAFE」外観)

サッカーを断ち、19歳で起業を志す。

私は、現在32歳ですが、起業を志したのは、19歳の大学生の時です。

そして、実際に起業したのは28歳の時です。

私は、大学に入るまで、サッカーに明け暮れる毎日を送っておりました。中学生ぐらいまではそれなりに高いレベルで出来ていましたが、高校生の頃には、周りの選手と比較し、サッカー選手になれないことに気づいていました。

しかし、それまでまともに勉強もせず、サッカー以外取り柄がない自分は、将来はサッカーに関連する仕事が出来たらいいなと漠然と思いつつ、日々の練習に励んでいました。

大学は実家に近くてサッカーが強いという理由で、ほとんど受験勉強をせずに大学に進学しました。Jリーガーも排出する関西一部リーグのサッカー部に所属し、厳しいトレーニングを行いつつも、大学に進学してから将来について考える機会が増えました。

高校サッカー部の顧問から、読書することを勧められて、人生で初めて自己啓発本を読みました。読んだ本は、「自助論」と「7つの習慣」という本です。

それらの本を読み、自分の人生について深く考えました。

私は、サッカー選手になりたいと思って懸命に努力してきましたが、サッカー選手になれる才能が自分に無いことに気づきつつも、これまで全てを捧げたサッカーを辞めて、新しい事を一から始める勇気がありませんでした。

しかし、上記の本を読み、人生について深く考えた結果、今からでも人生をやり直せると思いました。

自分が本当にしたいことは何かと考えた結果、それが起業でした。

自分でビジネスを生み出し、人から尊敬されるような経営者になりたいと思いました。

睡眠4時間半の起業勉強。そしてドイツへ。


(大学では交換留学制度を勝ち取った)

「起業して成功する」という目標を定めた時に、自分には圧倒的に知識・経験・能力が足りないと思いました。自分はこれまでサッカーしかしてこなかったため、スタート地点として、他の人よりも出遅れている、という認識を持っていました。なので、大学生の間は、自分を鍛え上げる期間にしようと決めました。

まず、サッカー部を退部しました。

そして、睡眠時間を4時間半と決めて、起きている間は、自分磨きに励みました。ほとんどの時間を読書(主に自己啓発本、ビジネス書)に捧げましたが、それ以外には、語学勉強も頑張りました。

私が通っていた大学には、ドイツへの交換留学制度(滞在費等を大学側が全額支給してくれる)があり、自分を成長させるためにも留学したいと思いました。

そして、何とか交換留学の切符を勝ち取り、大学生3年生の間は、ドイツに1年間、留学しました。

“起業のため”の就職先を選ぶ。

ドイツから帰国後は、就職活動でした。

私は、経営者になるために最も力が付く会社という視点で就職先を探しました。

就職活動中に見つけたベンチャー・リンクという会社に就職を決めることが出来ました。ベンチャー・リンクは、企業家排出機関と謳っている会社で、実際に数多くの起業家を生み出している会社でした。

就職先を決めてからの残りの大学生活で、自分でビジネスを創る経験を積みたいと考えるようになりました。

そして、私が行ったのが、セミナー事業です。

セミナー開催で集客と自分試し。


(リッツ・カールトンにて)

当時、NLPという心理学に興味を持ち、個人的に学んでいました。その内容について伝えるセミナー事業です。価格は、安くし過ぎるとビジネスの経験にならないので、1人当たり1万円に設定しました。

集客は、当時、流行っていたmixiを主に利用しました。

mixiのコミュニティで、経営者が参加する勉強会を探し、実際に参加して集客しておりました。

勉強会では、自己紹介タイムがあり、セミナーの宣伝を行いました。大学生が行うセミナーという事で、興味を持ってくれる経営者も結構いました。大体、20名ぐらい参加する勉強会の場合、その中の4名ぐらいが興味を持ってくれて、向こうから名刺交換に来てくれます。その4人に対して、勉強会後の懇親会でクロージングをかけて、その内の2名ぐらいが実際に申し込みをしてくれました。


(セミナーには合計80名以上が参加した)

そのような地道な営業活動を行い、1回目のセミナーには、約30名の方が参加してくれました。何度も練習した甲斐もあって、セミナーの満足度は非常に高かったです。セミナー自体は、合計3回行いましたが、毎回、約30名の方が参加し、合計86名の方にお越しいただきました。

2回目と3回目は、1回目に参加してくれた経営者の方の従業員の方が参加してくれたり、自身のmixiページでセミナーの宣伝をしたところ、わざわざ長野から大阪まで聞きに来てくれた方もいらっしゃいました。

セミナー2回目は、採算度外視で、リッツ・カールトンのセミナールームを借りました。

本来は4時間で100万円する部屋でしたが、セミナー当日までの期間が2週間とぎりぎりだったため、20万円で借りることができました。

スパルタ社会人経験。同時に資格学校へ通う。

当時、mixiの中で、私の活動が少し話題となり、プロのセミナー講師の方から、コラボでセミナーをしようと提案を受けたりもしましたが、就職が決まっていたので断りました。

自分一人で、セミナー集客・資料作り・講師を行い、多くの方から評価してもらい、一つの成功体験を積むことが出来ました。

2008年の4月から社会人生活がスタートしました。

大学時代、自分磨きに励んだお陰で少しばかり出来た自信がありましたが、すぐにその自信は打ち砕かれました。周りの同期は、本当に優秀な人ばかりだったからです。頭が良く、コミュニケーション能力も高く、目標達成に対して貪欲な人ばかりでした。大学時代に自分で会社を経営し売却して入社してくるような同期もいました。

上司からは、怒鳴られる毎日でした。

厳しい上司からの指導に、辞めていく同期もいましたが、私は辞めようとは思いませんでした。また会社に行くのが嫌だと感じたことも一度もありませんでした。ここで歯を食いしばって頑張れば成長できると感じていたからです。

私は体育会系で育ってきたので、怒られることへの耐性もあったと思います。

就職先では、フランチャイズチェーンの加盟店を増やすための営業を行いました。電話でアポイントを取り、営業に行って契約を取る、という業務でした。厳しくも優秀な上司から学ぶことが多く、日々、充実感を持ちながら働いておりました。

しかし、日々、企業経営者と面談する中で、自分は経営知識が圧倒的に足りていないと感じ、このままでは、将来、起業家としてやっていける力が付かない、と感じた私は、中小企業診断士の勉強を業務の合間を縫って、始めることにしました。

TACという資格学校に週末に通いつつ、毎朝1時間早く起きて勉強するようにしました。移動時間はすべて試験勉強に費やしました。


(資格学校やMBAにも進学)

中小企業診断士の試験は、1次試験と2次試験があります。1次試験は、7科目に分かれており経営知識を問われる試験で、2次試験は、実際のビジネスケースに対して自分の意見を記述する論述形式の試験です。

中小企業診断士の資格を取得するには、1次試験に合格した上で、2次試験に合格するか、あるいは、中小企業庁が定めた国内MBA(法政大学・経営大学院)を卒業することで、資格取得が出来ます。

私は、1次試験には何とか合格できましたが、2次試験に落ちてしまいました。

会社を退職し、次はMBAへ進学。


(MBAの授業にて)

もう1年間、会社員を続けながら、2次試験の勉強をしても良かったのですが、私は会社を退職しMBAに進学することにしました。理由は、MBAに通うことで自分自身が大きく成長できると思ったからです。

MBA入学前は、MBA卒業後、経営コンサルティング会社に就職し3年ほど修行したら中小企業診断士として独立する予定でした。しかし、MBAに進学し考えが変わりました。MBA卒業後は、事業家となり、その後、コンサルタントになろうと思いました。それは、自分で事業を作った経験があるコンサルタントの方が、話に説得力があると感じたためです。


(MBAの同期のなかまたち)

MBA卒業後は事業家になると決めて、まずは何の事業を行うかを決める前に、どこで事業するかを決めようと思いました。

私は、事業するなら東南アジアが良いと思いました。それは、成長する国の方が、ビジネスチャンスが多いと思ったのと、将来的に海外進出のコンサルティング需要も高まると思ったからです。

視察のためタイとカンボジア、マレーシアとフィリピンへ。


(カンボジアのアンコールワット)

私は、東南アジアのどの国で事業するかを決めるために、5日間ずつ東南アジアの一部の国を回りました。

タイとカンボジアとマレーシアとフィリピンです。

タイとマレーシアは、既にかなり発展しており、コストも高いと感じました。一方、カンボジアとフィリピンは発展途上で、物価も安く、低い投資でもビジネスが始められると思いました。

またフィリピンは、英語が公用語である点、治安面、日本からの距離等から、カンボジアよりもフィリピンの方が最初の起業の場所として適していると思いました。


(東南アジアに直接を足を運びビジネスチャンスを探した)

名物「とんかつサンド」の誕生。

続いて、フィリピン・セブ島で行う事業内容について検討しました。

フィリピンに行った時、フィリピン人が揚げ物を食べているのをよく目にしました。

そこで、とんかつを思いつきました。


(主力商品は「とんかつサンド」に決めた)

インターネットでとんかつについて、調べてみると、マニラでとんかつがブームになっている事がわかりました。しかし、セブ島には専門店が1店舗あるのみで、まだそれほどメジャーな日本食ではありませんでした。

マニラでブームになるなら、セブ島でもチャンスがあると思いました。

そして、私は、カツサンドの屋台をショッピングモールに出店しようと決めました。また仮に事業が上手く行かなくても、300万円もあれば1年間は十分に事業運営が可能だと分かりました。

300万の起業資金作り。昼はテレアポ、夜はバーでアルバイト。

そして、MBA卒業後は、起業資金の300万円を貯める事を最初の目標にしました。

最も効率的に稼げるという視点でアルバイト先を選びました。

私は、昼間は完全成果報酬のテレアポのバイトをし、夜は銀座のバーで時々働くことにしました。人生で初めてフリーターとなりました。

完全成果報酬のテレアポでは、月間のトップセールスを獲得した月もあり、テレアポとバーのバイトで、月に50〜60万円近くの収入がありました。東京で一人暮らしをしながら、約8ヶ月間で300万円を貯めることが出来ました。

フィリピン、セブ島。孤独の路上販売。


(フィリピン・セブ島の路上で販売決行。慣れない英語で通行人を呼び止めることから始まった)

2014年の10月11日に、日本を発ちフィリピン・セブ島に降り立ちました。

私は、カツサンドの屋台を出店する前に、まずカツサンドをテストマーケティングとして路上で販売しようと決めていました。

よって、セブ島に到着した数日後には住む家を決めて、カツサンドの路上販売を行う場所の選定のために、セブの街を歩き回りました。

私は、ITパークという、商業ビルが立ち並ぶエリアの近くで販売することに決めました。

セブに到着してから、約2週間後の10月27日から路上販売を開始しました。

100個のカツサンドを自宅のキッチンで作り、全部完売するまで帰らないと決めて販売していました。


(商品は手作り。日々研究を重ねた)

最初の頃は、あまり売れないので、朝11時から夜の7時まで炎天下の中、大声を出しながら売っていました。

当時は、英語もほとんど話せない状態でしたが、路上販売を通じて、お客さんと会話する中で覚えていきました。

100個を完売するのに、最初は8時間ぐらい掛かっていましたが、徐々にお客さんが増えて、路上販売を開始してから4ヶ月後には1時間ぐらいで完売できるほどになっていました。

その頃には、ITパークの中で少し有名になっていました。すると、地元の新聞記者が私の事を記事にしてくれました。


(「日本人のMBA卒業者が路上販売」は新聞でも話題に)

また、その翌日には、ニュース番組に取り上げられました。最初は、ローカルニュースでしたが、そのニュースが面白いということで、フィリピン全土に流されました。

 

翌朝、初めての行列が。

ニュースに取り上げられた翌日に、いつもの販売場所に行くと、30人ぐらいの行列が出来ていました。


(ニュースが起爆剤となり行列ができ始める)

100個のカツサンドを完売するのに、15分も掛からなくなりました。

また、買い物でショッピングモール等に行くと、知らない人から「Tonkatsu Man!」と声をかけられるほどになりました。笑


(日に日に路上販売は活況となっていく)

フィリピン人のビジネスパートナーと出逢う。

同時に、私は、フィリピン人のビジネスパートナーを探しておりました。私が新聞に取り上げられた後、それを読んだ私が住んでいるコンドミニアムのオーナーから声が掛かりました。

「君は何をしているの?」と。

私は、「カツサンドの屋台を出店してフランチャイズ展開させていきたい」という話をしました。すると彼から「場所が空いているから、まずこのコンドミニアムの1階のスペースでカフェをやらないか?上手くいったら、多店舗展開しよう」と提案をもらいました。

私は、少し考えましたが、彼と一緒にカフェをやることを決めました。

理由は、彼はセブ島で成功している起業家のため、ビジネスを行う上で良いアドバイスが貰えると思ったのと、人柄が良く信頼できると感じたからです。初期投資も半分出資してもらう事になりました。

そうして、出来たのが「GO GO CAFE」です。


(GO GO CAFEのロゴマーク)

「GO GO CAFE」のTV放映。でも…

2015年の9月17日にソフトオープンをしました。

ソフトオープンとは、広告を一切打たずに開店することです。

私は、ソフトオープンの形で3ヶ月運営した後に、広告宣伝を開始しようと決めていました。理由は、中途半端な状態で広告宣伝を行い、来たお客さんに満足してもらえなかった場合、挽回するのが大変だと思ったからです。


(昼間の店舗外観)

3ヶ月のソフトオープン期間を経て、ある程度満足できる運営ができるようになったので、広告宣伝を開始することにしました。

最初の宣伝は、テレビニュースです。実は、路上販売でテレビに出た後、多くのテレビ局から取材の依頼がありました。

しかし私は、その取材を断り「もうすぐカフェを作るので、カフェを取り上げて欲しい」と依頼し、了解を得ておりました。

テレビ局にニュースに取り上げて欲しいとメールしました。

すると、翌日には取材に来てくれました。その時の映像が下記の映像です。

その時の放送を見て、唖然としました。

理由は、GO GO CAFEの名前にモザイクが掛かっていたからです。

理由をテレビ局に聞くと、広告宣伝になるから名前は放送できない事になった、との事でした。

 

Facebookに大量の友達申請が。

GO GO CAFEは、コンドミニアムの1階というロケーションで外からは見えない場所にあるため、ウォークインで偶然来るお客さんは皆無です。よって、テレビニュースに非常に期待していました。しかし前述の通り「宣伝になるから名前は放送できない」と。

しかし、ある事に気づきました。


(「GO GO CAFE」店内)

私の名前はニュースで放送されたので、私のフェイスブックに大量の友達申請が届いておりました。

そこで、私の個人ページに来た人を、GO GO CAFEのフェイスブックページに気づいてもらえるようにしようと考え、沢山のリンクを、私の個人ページに貼り付けました。

そうすると、順調にGO GO CAFEのページに『いいね』をしてくれる人が増えていき、徐々にお客さんが増えていきました。その後、その他のテレビ局にも取り上げてもらい、多くのお客さんに来てもらえるようになりました。

 

現在は、ほぼすべての業務を従業員に任せられるようになり、自分の時間を豊富に持てるようになりました。

しかし、カフェは投資額も大きく、回収に時間が掛かるので、次は、小規模のサンドイッチ専門店をセブ島にて出店し、上手くいけば多店舗展開させて行きたいと思っております。

あのとき、勇気を出した。


(「GO GO CAFE」にて)

路上販売を始める時、カフェを始める時、最初の1歩を踏み出すのは、非常に勇気が必要でしたが、振り返ってみると、あの時、勇気を出してチャレンジして良かったと思っています。

今後もチャレンジ精神を忘れずにやっていきたいと思います。

Go Morita

森田 剛 中小企業診断士 東証一部上場・大手フランチャイズ専門コンサルティング会社にて飲食・学習塾等のフランチャイズ展開の支援を行う。その後、経営大学院(MBA)で経営を学び、現在は、フィリピンにて飲食店を経営。経営する「GO GO CAFE」はセブ島の人気レストランとして各種メディアに取り上げられる。

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